手のひらの話

物語のような、呟きのような…

古事記を読む

2年程前、ほぼ1年かけて古事記を現代語訳した。古事記の一語一語を理解する作業だった。その中で感じたことは、これまで私は古事記の何を読んでいたのだろうか、であった。

小学生の頃から古代史に興味を持ち、古事記の物語にも早くに触れた。10代で文庫の古事記を手にしてからは常に手元にあった。

幾度も繰り返し読んだ筈の物語に幾つもの発見があった。如何にいい加減に古事記を読んでいたことか。これまで読み飛ばしていた意味の捉え難い不確かな言葉こそが重要だったのだ。しかも私にはそれが分かっていた。それなのに追求する事なく流していたのだ。

今、私は更に古事記の一語一語を掘り下げる作業に入っている。現代語訳でも曖昧にした言葉もなおざりにはしない。しかしそれにしても不明な言葉が残るのも事実だ。

とは言え、作業自体は楽しい。ひとつの言葉から次々に世界が広がるのはスリリングでさえある。いずれその成果を何らかの形に纏めたいと思っている。