ねのみこもちのフィールドワーク

古代史の現場を歩く。

6月16日 フィールドワーク報告

今日は父の日。小学生の頃、両親と吉備路の古墳を巡ったことを思い出す。だから、と言うわけではないが、今日は古市古墳群の中を歩く。

JR大和路線堅下駅から東へ10分、「鐸比古鐸比売(ぬてひこぬてひめ)神社」。山に向かい坂道が急になる。その先に石段。これもまた急だ。説明板には、垂仁天皇御子の「沼帯別命(ぬたらしわけのみこと)」(古事記)、「鐸石別命(ぬてしわけのみこと)」(日本書紀)との関連が示されるが明確ではない。字面から銅鐸を連想するが、これも想像に過ぎない。f:id:vinhermitage543:20240617043503j:image

大和川を渡り、藤井寺市に入る。元禄16(1703)年、大和盆地から流れ出て、河内に滞留していた流れを、大阪湾に注ぐように付け替えた。そして河内は今見るように平地となった。f:id:vinhermitage543:20240617044501j:image

式内社「志貴県主神社」に向かう途中の「大山咋神社」。いわゆる「村の鎮守」。背後の大木が神体だろう。f:id:vinhermitage543:20240617045041j:image

古事記』に、雄略天皇が河内へ行くと、宮殿のような立派な家があった。誰の家かと聞くと「志幾の大県主」の家だという。天皇は「無礼だ」として焼き払おうとしたが、許したとの説話がある。それがここと思われるのだが、この時、天皇は「日下の直越(ただこえ)の道」を通ったとある。この道だと東大阪市生駒山麓に出る。距離的に問題があるので、いくつかの伝承が複合して成立した説話と考えられる。f:id:vinhermitage543:20240617050917j:image

「伴林氏神社」。河内の志貴を本拠とした林臣は蘇我氏との関係が深かったとされる。渡来人の多く居住した地域でもあるので興味深い。

f:id:vinhermitage543:20240617051635j:imagef:id:vinhermitage543:20240617051638j:image

次は「道明寺天満宮」に向かう。近鉄南大阪線土師ノ里駅の前を通る。左手に市野山古墳(允恭天皇陵)、右手に仲津山古墳(仲津姫命陵)が見える。どうも河内の巨大古墳は住宅地にあって全貌が捉えにくい。空から見なければならないか。

天満宮境内には復元された「修羅」がある。昭和53(1978)年、この付近から発掘された。古墳築造のための巨石を運搬する目的で作られた巨大なソリだ。ここにあるのは運搬実験のために復元された模型だ。大小2台が出土した。f:id:vinhermitage543:20240617053015j:imagef:id:vinhermitage543:20240617053019j:imagef:id:vinhermitage543:20240617053023j:image

ここから「誉田八幡宮」に向かう道は「高野街道」だったそうだ。f:id:vinhermitage543:20240617053315j:image

八幡宮は拝殿の大屋根を修復する工事をしていた。施行は金剛組!「西暦578年創業」の文字が輝く。f:id:vinhermitage543:20240617053604j:imagef:id:vinhermitage543:20240617053609j:image

境内奥の石橋は誉田御廟山古墳応神天皇陵)に続いている。秋の大祭では神輿が陵に渡る。f:id:vinhermitage543:20240617054118j:image

次は「野中寺」に行くのだが、晴れてだんだん暑くなってきた。聖徳太子建立との伝承があるが、おそらく渡来系の野中川原氏と関係があるだろう。『日本書紀』に大化5(649)年、妃を喪って悲しむ中大兄皇子に歌を奉った「野中川原史満(のなかのかわらのふびとみつ)」がある。この説話は前後の記事とやや趣を異にしている。野中川原氏の独自の伝承ではなかったかと私は考えている。

f:id:vinhermitage543:20240617055547j:image

野中寺境内には古代の伽藍の礎石が点在し、付近の古墳で発掘された石槨が展示されている。f:id:vinhermitage543:20240617055723j:imagef:id:vinhermitage543:20240617055726j:imagef:id:vinhermitage543:20240617055731j:image

最後に「白鳥陵古墳」へ向かった。ヤマトタケルは私に取っても大きなテーマだ。f:id:vinhermitage543:20240617060045j:imagef:id:vinhermitage543:20240617060053j:image

後方部に面して拝所があり、住宅地を回って側面から見学できる場所がある。遠目によくは見えないが、樹木が少なく墳丘が見えている場所がある。近年、陵墓では台風などで倒木の被害が多く確認される。ここもそうなのだろうか。

賛否はあるだろうが、私は立ち入りが禁じられている陵墓の樹木の整備は必要と考える。今のままでは、そう遠くない将来、陵墓とされる巨大古墳が次々に崩壊して行く姿を見なければならない。

立ち入りの禁じられていない古墳が、整備され、また復元されて丁寧に保存されている姿を見る度に思う。大規模な発掘調査でなくとも、墳丘を維持するための整備は必要と考えている。