手のひらの話

物語のような、呟きのような…

大ガラスへのオマージュ

2004年、大阪市内で開催されたマルセル・デュシャンの展覧会に行った。

デュシャンの作品だけではなく国内外のアーティストによるオマージュ作品が数多く展示され興味深かった。

入口に巨大なカラスのオブジェ。吉村益信氏の「大ガラス」。デュシャンの代表作「彼女の独身者達によって裸にされた花嫁、さえも」へのオマージュ。2.7m×1.7mのガラス板に表現されているので通称「大ガラス」。

このオマージュは日本語を知らなければ理解出来ない。さらにエドガー・アラン・ポーの『大鴉』を想起させる。

「私」のもとに舞い込んだ大鴉は「私」の質問に、繰り返し"nevermore"「またとなけめ(日夏耿之介訳)」とだけ答える。

デュシャンの大ガラスは饒舌だ。しかしその言葉は理解出来ない。

埴谷雄高『死霊』では、嬰児は「だあだあ」と発する。これはダダイズムへのオマージュと解されている。「存在の原動力を止めてはならない」主人公三輪与志は嬰児に触れながら言う。その意は「nevermore≒いま、ここ」だからだ。

フランス国立近代美術館「ポンピドゥセンター」ではデュシャンのレディーメイド作品を動かしながら展示している。ダダの動きは止まらない。